ピアノ教室の思い出
モモちゃんの子供のころを正直にブログに書いていこうと思っていました。
しかし、ある時、私のブログへの訪問者の多数がある言葉で来ている事が分かり、その記事を削除しました。
その事で、ブログに来ていただいても困るな~と、その時は考えたからです。
でも、やはり、モモちゃん奮闘記を書いていこうと思います。
何で、検索されてこのブログに来ていただこうが、全ては縁ですからね。
さて、モモが子供のころ、ピアノのある家は旧家かお金持ちかとにかく特別のお家でした。
小学校に入ったモモは、ピアノが習いたくて「おかあちゃん、ピアノ習いたいんやけど…。」と母に聞いてみました。相変わらず内職の手を休めずに母は「行きたいんやったらいけばええ」と言ってくれた。
クラスで一番のお嬢様のお家へピアノの先生が週に一度来てくれて、習いたい子はそのお家へ集まりました。
初めての時の事なんて記憶にない。嬉しかったに違いないんだろうけどね。
そして、何回目かの時、自分では3回目と強く覚えてるが、思い込みだろう。
先生から「モモちゃん、モモちゃんのお家の方はどうしてついてこられないの?」と言われ、確かに皆は御母さんか誰かが一緒に来ていた。「おかあちゃん、ミシンしてるで来れません。」と言うと子供ながらにその場の空気が冷ややかだったのを感じた。
その日、レッスンから帰って直ぐに「おかあちゃん、ピアノいかん。止める。」と言って泣くのをこらえながらいうと、母は「なんかあったんか」と聞いてきたのでそのままを話した。
「そうか。そんなら行かんでええわ。おかあちゃん、ついて行ってやれんからな。そんなことで止めたいと思って止めるんやったら縁がないんやわ~。他にやる事があるんと違うんか~。まあ好きな事やったらええ」
モモのお母ちゃんはいつも、怒られる~と思うところでは怒った事が無い。
怒られるのは、モモが皆に心配をかけたり、ごめんなさいを素直に言えない時ぐらいだったようなきがするな~。
ピアノはやっておけばよかったと大人になって後悔する事になったけどもそれでよかった。
後悔してから、本気でレッスンした。学校で落第したくなかった。学校以外で、先生について、ピアノと声楽を学んだよ。必死だった。その気持ちが、子供の私にはなかったんだね~。成績が上がった時には電子ピアノを買ってもらって、アパートでレッスンできるようになり、ますます、ピアノが歌が好きになって行った。
病気が世界を変えた。
難病指定を受けるまで、多額の医療費はそれまでの累積赤字に追い打ちをかけて、ピアノは医療費になった。
何もかも、御金に変わるのもは替えた。それでも、債務は増えて、父の亡くなった日に債務整理の通知が届いた。破産した。
今、財布には、千円札が何枚か。来月は病院に行けるのかな~。どうにもならない。でも生きている。
ピアノは幸せの象徴でもあったね。
もう一度、けん盤に触れられる生活に戻りたいが、どうやらそんな事を言ってる場合ではなくなってきたようですな~。
長い事、ありがとう。思い出をありがとう。
「佐藤さんには、ドビッシーが似合うから」と教えて下さった先生ありがとう。未だにどうしてかわかっていませんが、わからぬまま終わりになりそうです。
吉本興行的に「世の中、銭でっせ!」
おかあちゃんどないしたらええんやろ?
「好きにしたらええ」やろな~。
母は偉大だ。
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