モモ初めての登校拒否
モモは小学一年生、保育園とは違う学区の小学校に通う事になった。
知らない子達ばかりと思っていたが、モモの事情で皆と違う保育園にいっていたので、近所の子は何人かしっていたし、遊具のあるお宮さんでの遊び仲間もいて、そんなに違和感もなく入っていけたと思っていた。
ところが、ある日突然、「今日、学校、行かん。」が始まった。
はきりっと覚えてる時ばかりではないが…。
先生が家まできて、母と話をはじめた。「モモちゃんが、急に反抗的になって、学校の先生先生って偉そうに、先生のどこがそんなに偉いんや!とくってかかってきましてね…。」四畳半と六畳の二部屋しかない家で聞こえない訳がない。「モモここおいで」と母に言われ、何事がこれから始まるのかとかまえて座った。
そこで母の口から、「それで、先生はこの子の質問に答えられなかったんですね。」先生が、「そうですね」と言い終わると同時に、「そら先生があかん!答えられへんのやったら、答えられへん、わからんことは先生にもあるの。といったらよかったのと違う。今日のところはお帰り下さい。」
あっけにとられて先生の口から言葉は失われていた。
先生が帰ってから、今度は私の番や…。と神妙にしている私をおいて、母は内職をはじめた。何事もなっかったように。
「お母ちゃん…。」
「なんや」
「なんでもない」
と、手は休まないまま、
「あんな、お母ちゃんにはあんたの気持はわからへん。あんたも自分の気持ち、わかってないやろ。それでええよ。あんたには何か先生に気に入らんとこ見たんやろ。それが小学校一年生の子にわかったら、それこそ大事じゃわ。行きたもないもん無理したって身にはならん、病気になるのが落ちや。やめ時。」といって笑った。
それから知らぬ間に学校へは行っていた。が、登校拒否は高校生の時まで続いた。当然、その度に先生から何かしらあるのだが、母の一撃に言い勝った先生は一人もいなかった。
(お母ちゃんだけは私を信じてくれてる。)とその度に強く感じていく。たとえ私の方が悪くてもかばい続けてくれる母に、(お母ちゃんごめんな)と胸の奥の方がいつも熱くなった。
子供のこころの病気は他人ごとではない。親として何かしてあげようとかあたふたするばかりにならない。何をしたらいいのかではなく、自分が自分らしく生きる姿でしっかりと見守っていてやること。子供は母性に包まれているという安心感が欲しいだけ…。
こころは、いつもつかみどころなく…。他人ごとじゃないよ。私のこと。
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