« 牧歌の里 | トップページ | 六花亭 »

2009年8月25日 (火)

腹膜炎

あれは、5歳。明日から保育園という日でした。お腹が急にいたくなり、発熱、嘔吐が一週間続き、その間、田舎の内科を何件か受診したが、容態はひどくなるばかりでした。

当時の民間薬や、熱取りに、小麦粉練ったのを布に塗ってそれを今でいう湿布がわりにしてもらったり、父がどこからか馬肉を手に入れてきて貼ってくれた。その瞬間はひんやりとしてとっても気持ちよかったのを覚えている。

もうこの病院で最後だと両親は町の外科へ。その時の私の記憶は看護婦さんが「はい、看護婦さんと数、数えようね…」全身麻酔でした。

気づいた時には畳と土間のある病棟にいて母が七輪でお粥をつくってくれていた。おぼろげだが、私はその間口が乾いて乾いてしきりに「ブーちゃんブーちゃん」と水を催促しつづけたのでガーゼに水を含ませて口を母が何度もふいてくれたのを覚えている。

急性虫垂炎の発見が遅れて既に腹膜炎となり膿でいっぱいだったと、手術に立ち会った母から聞いた。退院してから一年間、母は私をおんぶして田舎の何本もないバスに乗って毎日病院にかよった。寒い日ねんねこを羽織って行く道中、嘔吐をしてねんねこの襟や母の首や後ろ頭をベトベトにした、不思議と吐き出した物の臭いより、おび紐とねんねこの綿の匂いに郷愁覚えた。

その頃、生活保護を受けて生活していた我が家にとっては子供の命を維持する経済力はなっかたが、赤ひげ先生は「医療費の事は心配せんでいいから。」と気遣ってくださったそうだ。そこで私の命が救われた。

今、世界に目を向ければ子供の死亡率の多い国の方が多いと思う。人は生まれる場所も両親も選べない。「人は泣きながら生まれてくる…。」五木寛之氏のエッセイにこんな出だしの、文章があったと思う。

私の人生最初の命の岐路は昭和という激動の時代、高度成長に向かっていくころでした。医学が進んでもまた、新たな病気が現れる。宇宙のなかの小さな星のそのまた小さな命達を試すかのように…。

夏は戦争のこと、原爆のこと、お盆ご先祖さまのこと、自分がここにいるという現実、いろいろ感じています。

« 牧歌の里 | トップページ | 六花亭 »

コメント

よかった〜具合が悪いのかと…子供の病気は親も必死だよね。昔は今よりもっと不便で大変だったろうね。

ご心配かけました。
子供の頃の記憶って結構のこっているものです。子供は世界の宝物。私は人の子にでも平気で怒っていたけど最近は逆切れされるそうだから見て見ぬふりにしています。といって病院でしか子供に合わないし、白血球減少のの私、感染病が不気味です。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 牧歌の里 | トップページ | 六花亭 »

フォト

最近のトラックバック

無料ブログはココログ